大判例

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東京高等裁判所 平成元年(行コ)31号 判決

控訴人

石黒正敏

萩原隆裕

右二名訴訟代理人弁護士

高原誠

木ノ内建造

被控訴人

山田三郎

右訴訟代理人弁護士

岸厳

細田初男

村井勝美

中山福二

大久保和明

小林和恵

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は、富士見市に対し、金一七五三万四九五二円及びこれに対する昭和五八年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、富士見市に対し、金一七六三万九五一六円及びこれに対する昭和五八年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  この判決は、仮に執行することができる。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  次の当審における主張を付加するほかは、原判決の事実欄第二(原判決三枚目表七行目から同一五枚目裏一〇行目まで)に記載のとおりである(略称も原判決のとおりとするが、以下においては、原判決のいう「是正措置」を「本件昇給延伸措置」と改める。)。

二  当審における主張

1  控訴人ら

(一) 訴えの利益について

被控訴人は、本件昇給につき事後に合理的な是正措置がとられたから、訴えの利益を欠くと主張するが、本件昇給の是正措置としては、本件昇給を取り消したうえ、職員から本件支出分の返還を求めるか、次期以降の給与から差し引いて調整(相殺)すべきであったのであり、これらの措置が不可能であったとする理由はないにもかかわらず、これを行わず、本件昇給を前提とする本件昇給延伸措置に及んだものである。また、仮に昇給延伸措置による是正方法があり得るとしても、後記のとおり、本件昇給延伸措置によっては本件昇給による損害の全部又は一部が補填されないのである。したがって、いずれにしても、本件昇給延伸措置をもって合理的な是正方法ということはできず、訴えの利益がなくなることはない。

(二) 本件昇給の違法性の治癒について

(1) 給与法二〇条、人事院規則九―八の四五条の俸給の更正決定又は俸給の訂正の規定は、国家公務員に関する規定であり、そのような規定のない地方公務員の場合について右規定を準用して違法な本件昇給の是正ができるとすることは、給与条例主義に反するといわなければならない。手続的にみても、俸給の是正決定又は俸給の訂正の制度は、人事院という第三者機関により又はその承認により行われるというものであり、地方公共団体の長の裁量による昇給延伸措置とは大きく異なるものである。

なお、市の給与条例四条六項は、成績良好者に対する普通昇給を実施するための規定であり、違法昇給を是正するための昇給延伸措置の根拠規定となり得るものではない。

(2) 俸給の更正決定又は俸給の訂正の規定の準用が許されるとしても、俸給の更正決定又は俸給の訂正は、個々の職員に対する措置であるから、仮にこれによって違法性が治癒されるとしても、個々の職員ごとに本件昇給の違法性が治癒されるにすぎないものと解されるが、本件昇給を受けた職員のうち、その後の退職者一〇名、昇格者一〇六名、職命替を受けた者二名については、本件昇給延伸措置がとられていないのであるから、本件昇給延伸措置によって本件昇給の違法性は治癒されないものというべきである。

(3) 事後の昇給延伸措置によって損害の回復がなされ違法性が治癒されることがあり得るとしても、本件昇給延伸措置によっては本件昇給による損害は何ら補填されていないのであるから、違法性の治癒を認める余地はない。

すなわち、本件昇給の違法は、給与条例に反して一般職員全員について一律に昇給期間を三か月繰り上げ、三か月間の昇給分を違法支出したことにあるが、本件昇給がなく給与条例に基づく適法な昇給がなされていたら、その翌年の昇給時期は、本件昇給があった年度の本来の昇給時期の一年後であったはずであるところ、この翌年度の昇給時期は、本件昇給延伸措置により三か月延伸した時期と一致するのであるから、本件昇給延伸措置は、単に本件昇給の行われた年度の翌年度の昇給を本来の適法な時期に戻すにとどまり、本件昇給により三か月繰り上げて違法支出した三か月間の昇給分の損害まで補填するものではない。したがって、損害が回復されて違法性が治癒されたとすることは到底できない。

ちなみに、本件昇給を前提として昇給延伸措置をとるのであれば、本件昇給延伸措置のように三か月の昇給延伸では足りず、六か月の昇給延伸措置をとるべきであった。

(三) 損害について

仮に本件昇給延伸措置によって本件昇給による損害が補填され得るとしても、本件昇給を受けた職員のうち、次の(1)ないし(3)記載の職員については本件昇給延伸措置を受けておらず、(4)の職員については本件昇給延伸措置によって支出を免れた金額が本件昇給による損害額を下回り補填されない損害が残っており、以上の合計三〇五万二六六一円の損害については、いまだ補填されていない。

(1) 本件昇給後に退職した者(一〇名)に対する違法支出分

小計 三〇万六二七七円

(2) 本件昇給後に昇格した者(一〇六名)に対する違法支出分

小計 二六一万一〇〇六円

(3) 本件昇給後に職命替を受けた者(二名)に対する違法支出分

小計 七万六〇三二円

(4) 本件延伸措置により支出を免れた金額が本件昇給による違法支出額に満たない者(八六名)に対する違法支出分

小計 五万九三四六円

(5) 合計 三〇五万二六六一円

2  被控訴人

(一) 訴えの利益の不存在

地自法二四二条の二の住民訴訟の制度は、同法二四二条の監査請求による自治体内部での自主的解決を図り得ないとき、裁判的統制によって地方財務上の違法行為を防止・是正し、もって客観的な法規維持(適法性の保障)を目的とする特殊の訴訟形態であるから、地方財務上の違法行為について既に自治体による自主的な是正措置がとられているときには、住民訴訟の目的は達成されたものとして訴えの利益はないというべきである。そして、その是正措置は、自治体の自治権の行使の一環として自主的に行われるものであるから、具体的な方法については、当該自治体の裁量に委ねられており、画一的に定められるものではなく、合理的な措置であれば足りるというべきである。

しかるところ、本件昇給延伸措置は、本件昇給を是正する措置として合理的であったということができる。すなわち、本件昇給の取消をすることは、その性質上給与に関する秩序をいたずらに混乱させ、ひいては職員に不安の念を抱かせるのみならず、もともと市においては国家公務員の給与とのバランスをとるために一二か月の昇給延伸措置をとっていたことに加えて人事院勧告凍結に伴う給与改定が見送られたという経過があり、実際上も本件昇給を取り消して是正する方法は到底採用し難いことから、結果的に本件昇給延伸措置がとられたのである。これにより市が支出を免れた金額は、本件昇給による損害額よりも五二万九五七二円多いのであり、本件昇給を是正する方法として合理的であったというべきである。

以上のとおり、本件昇給については、既に市において自主的に是正されているのであるから、その是正を目的とした本件住民訴訟は、訴えの利益を欠くものとして却下すべきである。

(二) 控訴人の主張(二)(1)に対する反論

もし俸給の更正決定又は俸給の訂正の規定を準用して違法昇給の是正措置をとることが許されないとしたら、是正措置について特別の規定を置いていない条例下においては、いかなる是正もできないこととなり、そもそも住民がその是正を求める住民監査請求をしても行政側において是正することができず、住民監査制度を否定する結果となる。

国家公務員、地方公務員を問わず、誤った給与の決定について給与の決定権者が自ら是正し得るというのは当然のことであり、給与法や給与条例は、そのことを当然の前提としているのである。

(三) 控訴人の主張(二)(3)に対する反論

本件昇給延伸措置は、本件昇給を前提とし、これを取り消さないでなされたものである(本件昇給については、地自法二四二条の二第一項二号に基づく取消請求の訴えの出訴期間が既に経過し、不可争力が生じているから、控訴人らとしても、本件昇給がなされていることを前提とした主張しかすることができないというべきである。)から、その後直近に予定される昇給時期は、本件昇給の時期の一年後と考えざるを得ないのであり、それを延伸すれば、その分市としては支出を免れ利得があったと評価し得るのである。

実際的にも、市が本件昇給の是正措置として控訴人ら主張のような六か月の昇給延伸措置をとっていたならば、職員は本来の昇給時期から更に三か月間にわたり昇給分を受けられないにとどまらず、その後もその事態が毎年繰り返されることや諸手当への影響が加わること等を考えると、職員の不利益は大きいといわざるを得ず、六か月の昇給延伸措置は到底とれなかったものである。

以上のとおり、本件昇給是正措置によって昭和五九年中に支出すべき昇給分の支出を免れたことによる利得は、昭和五八年中に支出された本件昇給による損害に当てられたものであるから、本件訴訟で賠償が求められている損害は既に補填されているものであり、本件昇給の違法性は治癒しているものというべきである。

(四) 控訴人らの主張(三)に対する反論

損害が補填されたかどうかは、職員全体でみれば足りるのであり、原審で述べたとおり、本件昇給による損害はすべて補填されている。

個々的にみても、昇格者、職命替を受けた者については、昇格、職命替の後に本件昇格延伸措置を受けているものであり、控訴人らのように損害の補填がないとはいえない。

(五) 過失がないことについて

市は、国家公務員とのバランスを考えた給与水準是正のための国の指導に従い、昭和五七年度の昇給について一二か月延伸する措置をとった。その後、昭和五七年度人事院勧告凍結の閣議決定がなされ、国の指導により市としても、給与改定を見送らざるを得なくなった。閣議決定の根拠の一つは、公務員には年一回昇給する制度があるから打撃が少ないというものであった。ところが、市の場合には、既に昭和五七年度の昇給を一二か月延伸する措置をとっていたため、右給与改定の見送りにより給与が二重に抑制される結果となった。右延伸措置をとる際には、職員組合との交渉において、人事院勧告による給与改定もあることを説得材料としていたこともあり、市としては、職員の士気向上や健全な労使関係を築いていくうえからも、早急に救済措置を講じる必要に迫られた。そこで、被控訴人は、幹部会議を開催し、職員の経済的救済措置について検討させた結果、給与条例四条七項及び給与規則四三条に基づき本件昇給を実施することができる案が報告され、幹部会議の了承を経たうえ、本件昇給を決定実施したものである。

以上のような経過にかんがみると、仮に本件昇給が違法であったとしても、それを決定実施した被控訴人には過失がないというべきである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一本案前の主張について

被控訴人の本案前の主張は、いずれも失当と判断するが、その理由は、次に付加するほかは、原判決の理由欄第一(原判決一六枚目表三行目から同一九枚目表三行目まで)に記載のとおりである。

「被控訴人は、本件昇給については公金の返還(損害賠償)に代わる合理的な是正措置として既に本件昇給延伸措置がとられているから、住民訴訟制度の趣旨からして本件訴訟に訴えの利益はない旨主張する。

しかし、違法な財務会計上の行為について事後に合理的な是正措置が講じられたときには訴えの利益がなくなると考える余地があり得るとしても、後記のとおり、本件昇給延伸措置は、同措置がとられた昭和五九年度以降の昇給に関して本件昇給がなかったと同じ状態を回復させるものにすぎず、本件昇給によって市に生じた損害を何ら回復するものではないから、違法な損害の回復を目的とする制度の趣旨にかんがみ、本件昇給延伸措置をもって合理的な是正措置ということはできず、したがって、被控訴人の主張を採用することはできない。」

第二本案について

一当事者及び住民監査請求、本件昇給の実施と本件昇給による支出額、本件昇給及び財務会計行為の適否についての当裁判所の認定判断は、次に付加するほかは、原判決の理由欄第二の一ないし三(原判決一九枚目表五行目から同二九枚目表七行目まで)に記載のとおりである。

「確かに、引用にかかる原判決の認定事実によれば、市当局が、職員の福利及び労使間の信頼関係を考慮して、本件昇給を決定した経緯については、無理からぬところがないではない。しかし、市が国の指導に従いラスパイレス指数を引き下げるために昇給期間を一律一二か月延伸する条例改正を行い、また、当時の社会情勢等から国の人事院勧告凍結の方針に準じて給与改定を見送ることを決定する一方で、これらをそのまま維持しながら、他方において本件昇給を実施したことは、実質的には市の標榜した右二つの施策を形骸化するものであり、行政の運営としていささか姑息であるとの感を免れない。職員の福利及び労使関係に対する配慮はもとより重要であるが、本件証拠にあらわれた限りにおいては、当時の状況が本件昇給の措置をどうしても早急に行わなければならないほどに切迫していたとはいまだ認めることができないのである。また、地方公共団体における給与条例主義の原則は、地方公務員制度の根幹をなすものであるから、それに抵触するおそれのある異例の措置を行うに当たっては、あらかじめ十分慎重な検討と手順を尽くしたうえで実施すべきことが当然であるところ、〈証拠〉によれば、本件昇給を検討した市の幹部会議ではその適否を危ぶむ意見も出されたこと、市は、本件昇給を行うに当たり、その適否ないし当否について市議会の意見を聴かず、また、県の地方課や法律関係者らに照会したこともなく、このため、本件昇給の実施後に市議会からその根拠について疑義が出され、県からも是正の必要を指摘されるに至ったので、これに対応するために本件昇給延伸措置をとることにしたものであることが認められる。

以上のような諸事情からすると、本件昇給は、市の給与条例上適法と認めることができないばかりでなく、実質的にみても、やむを得ない緊急の措置として違法性が阻却されるものとは認められないというべきである。」

二被控訴人は、本件昇給後に行った本件昇給延伸措置により本件昇給の違法性は治癒された旨主張するので、以下この点について検討する。

1  本件昇給延伸措置を講じた経緯及び本件昇給延伸措置の内容についての当裁判所の認定判断は、原判決の理由欄第二の四の2及び3(原判決二九枚目表一一行目から同三三枚目裏八行目まで)に記載のとおりである。

2  ところで、市の給与規則四二条は、給与条例の委任に基づき、「職員の給与の決定に誤りがあり、任命権者がこれを訂正しようとする場合において、あらかじめ市長の承認を得たときは、その訂正(昇給期間の短縮を含む。)を将来に向かって行うことができる。」と定めている。この規定は、国家公務員の俸給の訂正について定めた人事院規則九―八の四五条の規定と同趣旨であり、過去の給与の決定に誤りがあった場合に、常に当該決定を遡及的に訂正しなければならないとするのは、給与に関する秩序を混乱させ、職員に不安を抱かせるおそれがあることなどにかんがみ、合理的裁量により、右遡及的訂正をすることなく、将来に向かってのみ効果を及ぼす訂正方法をとり得ることを認めたものである。

この趣旨からすれば、本件のように昇給期間を短縮して昇給の発令及び給与の支給をしたことが違法とされる場合に、その遡及的取消に代えて、法的根拠のある範囲内で次期以降の昇給を延伸する方法により、将来に向かって違法の是正を図ることも、必ずしも給与条例の禁止するところではないと解するのが相当である。

しかし、違法な給与の支給によって現実に市に損害が発生している以上、単に将来に向かって違法が是正された(すなわち、昇給延伸措置についていえば、これにより次期以降の昇給発令が本来のあるべき時期に戻った)というだけでは、過去の給与支給の違法性が治癒されるということはできない。当該の是正措置が具体的状況下で行政の自主的になし得る精一杯のものであったとしても、当然には治癒されない。少なくとも市に生じた違法な損害が実質的に回復されたと評価し得る程度に違法支出が補填されて初めて、右違法性の治癒を論ずる余地が生じるものというべきものである。

3  しかるところ、引用にかかる原判決の認定事実によれば、本件昇給延伸措置は、昇給期間を三か月短縮した本件昇給を前提として、その一年後に予定されていた次期昇給を三か月間延伸するものであるから、次期及びそれ以降の昇給に関しては、本件昇給をいわば帳消しにし、本件昇給がなかったと同じ状態に戻したものということができるが、本件昇給によって既に職員に支給された三か月間の違法昇給分の損害までを回復させるものではないというべきである。これを具体的にいうと、本件昇給がなければ昭和五八年四月一日に昇給する予定であった職員の場合、本件昇給により同年一月一日に昇給し、その後もそれを前提とすれば毎年一月一日に昇給することが予定されていたところ、本件昇給延伸措置によって昭和五九年一月一日に予定されていた昇給が同年四月一日まで延伸されたのであるが、このことは、右職員について違法な本件昇給がなかった場合の本来の昇給予定時期どおりに昇給がなされる状態が回復されたにとどまり、昭和五八年一月から同年三月までの間支給された違法昇給分は右職員に支給されたままであり、それによる市の損害は何ら回復されていないことになる。

4  被控訴人は、本件昇給延伸措置は本件昇給を取り消さないで行われたものであるから、本件昇給を前提として一年後の次期昇給時期が決められるのであり、本件昇給延伸措置により右昇給時期が三か月延伸されたことによって市がその分の支出を免れ利得にあずかったことになるので、これによって本件昇給による市の損害は回復された旨主張する。

しかし、右主張は次の理由により採用することができない。

市の給与条例四条六項は、「職員が現に受けている給与の号給を受けるに至ったときから一二月……を下らない期間を良好な成績で勤務したときは、その者の属する職務の等級における給与の幅の中において直近上位の号給に昇給させることができる。」と定めているが、この規定をもって、昇給時から一年を経過すれば次期昇給を請求できる権利を職員に与えたものと解することはできないし、他に職員が市に対して昇給請求権を有することを認めるべき根拠は見出せない。したがって、本件昇給が取り消されず、又は法律上取消不能の状態になったとしても、本件昇給時から一年を経過した時期に次期昇給をさせることが職員に対する市の法律上の義務であるとすることはできない。それゆえ、三か月間の本件昇給延伸措置により、あたかも市が支給義務を負うべき次期昇給三か月分の支出を免れ利得をしたかのようにいう被控訴人の主張は法的根拠を欠くといわざるを得ない。

のみならず、本件昇給の取消がなされたからといって、その違法性が失われるわけではないから、違法な本件昇給を前提として一年後に次期昇給が行われれば、その次期昇給もまた三か月短縮された分が違法たるを免れず、その分の損害を更に市に生じさせることになる。本件昇給延伸措置は、右の本件昇給を前提とした次期昇給による違法支出を防止するにとどまるものであり、本来違法として禁じられる支出をしないだけのことであるから、市にとって支出を免れることによる利得が生じるとする余地はない。

被控訴人の主張するように、本件昇給延伸措置によって支出しなくなった次期昇給の三か月分が本件昇給による損害の回復に充てられたということは、結局、右三か月分相当額を次年度から支出して前年度の本件昇給による損害を補填したというに等しく、その結果、本件昇給による損害は観念上回復されたことになるとしても、その分だけ次年度の違法な損害として現れることになり、それ以降も同じ手法で実質的に当初の違法昇給による損害が順次後年度に繰り越されていくことになる。このような形式的、観念的な操作によって本件昇給による損害そのものが補填されたと認めることは、地方公共団体の利益の実質的保護の見地からも到底是認し難いといわなければならない。

被控訴人の主張は採用できない。

5 以上のとおり、本件昇給により市に生じた損害については、本件昇給延伸措置によっても何ら回復されていないというほかないのであり、それでもなお本件昇給の違法性が消滅したとするのを相当とすべき特段の事情があるとは認められないから、本件昇給延伸措置による違法性の治癒を肯定することはできない。

三過失について

既に認定のとおり、本件昇給が決定実施されるに至った経緯はおおむね被控訴人の主張するとおりである。しかし、本件昇給は、地方公務員の給与制度の根幹をなす給与条例主義に反したものであり、被控訴人としては、少なくともその疑いがあることを知り得べきものであった(幹部会議においてもその適否を危ぶむ意見が出されていた。)。被控訴人が市長としての政治的判断によりあえてかかる施策の実施に踏み切るについては、あらかじめ十分慎重な検討ないし周到な手順を尽くすべきであるところ、本件においてこれを尽くしたと認め難いことは、前記一で判示したところである。したがって、被控訴人主張の諸事情を考慮してもなお、本件昇給については被控訴人の職務上の過失は免れないものというべきである。

四損害について

本件昇給に基づき既に認定の三か月間の昇給分の合計一七五三万四九五二円が支出されたことにより、市は同額の損害を被ったと認められる。

被控訴人は、給与は労務の対価としての性格を有するから、それに対応する労務提供を受けている限り、本件昇給によって支払われた給与相当額の損害が発生しているとはいえない旨主張するけれども、本件昇給の前後の労務提供は同一であるから、昇給分に対応する労務提供の有無を論じること自体無意味であるし、そもそも給与条例主義の問題と労務提供とは直接結びつくものでないことが明らかであり、被控訴人の主張は採用できない。

五結論

以上によると、控訴人らの請求は、市に代位して、被控訴人に対し、右認定の損害額一七五三万四九五二円及び本件昇給に基づく昭和五八年中の最終支出時期の後である昭和五八年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を市に支払うべきことを求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないものとして棄却すべきである。

よって、右と異なる原判決を変更することとし(仮執行の宣言は相当でないから付さないこととする。)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官坂井満)

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